竹田君、もうお昼ですよ

日記代わりなのに、毎日は書けません

本当に?

 失敗をする度にネタにされ、ネタにされない失敗の時は本気で叩かれるけんぞうです。

 

 今日は不愉快な事を話題にしていきましょう。

 他人の失敗がなぜ面白いか?という話です

 私は他人が言うに、「話術はないが、人生が面白い部類の人間」らしいです。

 自分はそうは思いません。

 他人に話したネタでも出してみましょう

 「スキー場で転んで雪だるまになった」とか、「階段で転んで、後々まで響く腰痛を抱えた」とか、「金槌を持ち歩いていたら、それを足に落とし、足の爪を剥がした上で、その痛みから転けて窓枠に顔をぶつけ唇が裂けた」とか、「元恋人が私の◯◯◯に◯◯を突っ込んで、驚いて止めさせたら、私に病気が見つかった」とかとか…

 自分は面白いとは思いませんが、他人にとっては面白いらしいですね。

 

 何がどうであれ、他人の失敗や他人の欠損で笑うのは最低な人間のやることで、イマドキのJKらしくない言い方すれば『サイテー人間』な訳です。

 

 自分の経験上、人の失敗を笑う人の特徴として挙げられるのは、プライドだけは一丁前に高く、現状に不満を持ちながらも、何もせずして成功を望み、自分の土俵では勝ち続けていきたいと考え、一度の負けなど考えたくもないといった不幸な人間が自分の精神衛生を保とうと他人の失敗を笑うのですね。 これは自分にも言える話なので、他人事ではありません。

 

 そこで趣味が人間観察の彼女いない歴21年を乗り越え、ようやく彼女が出来た知人に質問をしました、「何故君はそんなに幸せそうなのか」と。

 少し悩んで彼はこう返しました。

 「実際に幸せだからね。」

 「俺は小さい頃から病気がちで、こうやって生きているってだけで有り難い。(中略)今もだけど、親には面倒かけているし(中略)、こんな俺にも彼女なんか出来ちゃってるし、(中略)とにかく幸せだよ。」

(度々中略する理由も解るかと思いますが、彼はアタマの宗教やってるんじゃないかと思うくらい、能天気なんだよね…)

 

 彼が言うには「幸せってそこら中にあって、前向きに生きれば何とでもなる」

成る程、そんな考え方なら幸せも自分から来るだろう、これは良いこと聞いたと、現在私も小さい幸せを感じながら生きている次第です。

小さい幸せを噛み締めながら、前向きに生きる

 これが幸せへの、人生を楽しむ上での心構え。 失敗を反省し、次に活かすことも考えつつまた生きなければならないのですから。

 

 それを踏まえた上で数日後に、性の不一致から彼女さんと別れたタイミングでまた同じように質問しました。

 「今は幸せかな?」

 「殺すぞ」

 今は物騒な世の中です、前向きな彼にこんな殺意を抱かせるのですから。